恩人への恩返しが出来るまで

大恩人が逝ってしまった。何も恩返しができないままに。

コロナ禍で業務も止まってしまっていましたがそのコロナで恩人が逝った。

真ん中でギターを持っている方。ネットゲリラこと山田博良さん。

もう本当に多くのことを学ばせていただき今ここに書ききれない。

ご冥福を祈ります。

山田さん、本当にありがとう。

ご恩は決して忘れません。そして、あなたが残してくれたことやもの。

大切に繋いでいきます。

三年番茶茶工場完成パーティ
山田邸の藻木蓮の花

安らかに

冬の小春日、業務停止のお知らせ

令和2年11月13日の更新です。

コロナの第3波の到来とともに、日本も世界も尋常ならざる状況に突入してきました。

世界では、コロナ禍の中、アメリカの大統領選挙が混沌としております。

この期に人生を見直して良い意味でやり直しのきっかけになれたらいいなと思い、意識を外から中へ転換するためにFacebookもしばらくお休みにしました。

このブログをご覧の皆様が健康であられんことを願います。

以下、業務停止のご挨拶。

当、一般社団法人はいねのもりは、社会福祉法人草笛の会のご厚意により障害者の文化芸術専門活動を行うために設立、運営してまいりましたが此度の状況を鑑みて、福祉的な活動を当面中止といたします。

尚、薪炒り三年番茶及び珈琲焙煎販売業務は、薪炒り番茶株式会社にて継続いたします。

音楽家から障害者支援という未知の世界へ誘ってくださった三谷元草笛の会理事長、草笛の会、支援員の皆様、利用者及びご父兄の皆様、地元の方々、菊川商工会議所様、掛川ロータリークラブ様、掛川青年会議所様、ご寄付くださった支援者の方々、関係者・スタッフの皆様、大変勉強になりました、ありがとうございます。

至らないことばかりで、短い間でしたが、草笛リズムマシンのメンバーとの日々は本当に楽しく、泣き笑い、躍動して音楽の力を存分に堪能できました。メンバーのみんなありがとう。

障害者支援の一環として、起業して雇用に繋げようとご支援いただいた、薪炒り番茶株式会社山田社長様、関係者の皆様、ありがとうございます。

この未曾有の事態が沈静化したおりに再開できるよう精進します、皆様方もどうぞ、健康に留意されてお体をご自愛くださいませ。

では、また、お会いしましょう!

障がい者と健常者のちがいって?あなたはどうですか?

久々の投稿ですが、今回は目線を変えて。

僕は、ドラマーで世に出ましたが、10年前から社会福祉法人で障がい者の就労支援と文化芸術専門活動に取り組んで来ました。障がい者と一緒にバンドやったり仕事しながら寄り添うって感じかな(三年番茶の工場も彼らのお仕事になることを作りたいって探していたら出会えた仕事なんです)

で、思ったことがあるんです。障がい者ってなに?みんな知ってるのかなって。

今上陛下が天皇になられた時の御言葉で「福祉」と仰っていたその福祉的なことで、僕が思ってる事をちょっと書かせてもらいたいなって思ったんです。

障がい者を助ける人(支援員)や普通に生活している人のことが健常者と呼ばれていますが、健常者って何?と健常者(今となってはあまり使われない用語になってきてますけど、敢えて使わせていただきます)と障がい者の違いってなんだと聞かれたりもするし、そこで僕が思うことを今回書こうかなって。

このブログを読んでくださっているあなたに聞きたいんですけど

あなたは、健常者ですか? それとも障がい者ですか?

そして、僕の思いを先に書くとズバリ!

この世に健常者はいない!です。

例えば、IQ 70以下だと知的障害者と判断されることがあるんですが、人工透析してる人も、事故とか高齢で手足や内臓が不自由になった方とかは身体障害者、昔でいう躁鬱病(今では双極性障害というようですが)とか、流行りの統合失調症とかは精神障害者と。これに近頃では難病の方も障害者と括られています。

ちなみに僕は、去年資格を取って「サービス管理責任者」「相談支援員」「介護福祉士初任者」と、福祉系の資格を3つ持ってるんです。世間的にはソーシャルワーカーと呼ばれる立場なんです。

そんな僕には、社会的な責任があって、国の指針以外のこと書くと叱られるかもしれないんですが、敢えて今回自分の意見として書くと

健常者は存在しない。

なんです。

ちょっと逸れて、専門的な話になりますが、1980年の国際障害分類(ICIDH)というのを WHOが出しまして、障がい者を定義したんです。それが2001年に更新されて、国際生活機能分類(ICF)と

「障害」に対する概念が180度転換されたんです。

このことは、専門家や学生しか知らないかもしれませんが、福祉のことは世界共通で進んでいるんです。(ヨロッパや北欧が先端を行ってますけどね、日本はめっちゃ距離置かれてますよー知ってました?)

で、何が転換されたかっていうと難しい正確な定義はネットとか専門書を読めば書いてあるんですけど、ここはサービス管理責任者、わかりやすく短く説明させていただきましょう。

簡単にいうと、1980年の国際障害分類(ICIDH)の頃は

障害は、あなたがそうなっていることが理由、例えば足が無いから歩けないのはあなたの責任。

だけど、かわいそうだから手助け(支援してあげましょ)ってな考え方(乱暴な書き方ですから専門の方怒んないでね)

東京から京都に行きたくても歩けないんじゃ行けないわね。じゃあ、送ってあげれる人誰かいませんか。ってな具合。

それを「医療モデル」っていうんですね。

それが、21年経って、2001年に、国際生活機能分類(ICF)となったのです。

180度転換の意味は

ICFでは、あなたに足が無かったら、車椅子や電車や飛行機とか車を使えば京都にも行けるし、奈良にも九州、四国、北海道にも。飛行機に乗れば外国やロケットに乗れば宇宙にもいけますよってな具合に。

だから、足やあなたに問題があるんじゃなくって、社会インフラが足のない人でも行きたいところに行けるようにデザインされた「ユニバーサルデザイン」になっていれば、あなたにとって足の無いことが「障害」ではなくなりますよね。

障害はあなたの問題じゃなくって、社会やあなたの周りがあなたが障害と感じるような形やサービスなのが問題なんですよ。という「社会モデル」に。

更には、「出来ないこと」に焦点を合わせるじゃ無く「出来ること」を大事に見て、そこを活かしていきましょう。支援員さんもそういう風に見て自己流じゃなくって勉強して考えて支援してくださいね。

ってな具合に進化したんです。

だから「障害」の「害」の字は

あなたが体や精神、知能を「害」してる。「医療モデル」

から、社会インフラがあなたの意思を「害」してる。「社会モデル」に変わったんです。

これって、すごい違いだと思いません?

そして、障害のある人も無い人も、互いに支え合い、地域で活き活きと明るく豊かに暮らしていける社会を目指す「ノーマライゼーション」の理念というのが誕生したんです。

興味のある方は、厚生労働省:障害福祉施策の考え方をクリックすれば、国の考え方がわかります。ちょっとややこしい話だけど、こちらも詳しく書いてます。

話が逸れましたので、本題の戻します。

じゃあ、ラッコさんはどっち?

って聞かれたら、僕は自分のこと「障害者」だと思っています。と応えます。

医療モデルや国の定義とは違うと思いますから、ひとつの考え方だと捉えてくださいね。

僕は、サービス管理責任者ではありますが、自己顕示欲が強く「自己愛性パーソナリティ障害」の要素があり「両極性障害」気持ちが上がったり下がったりが結構激しい。自己中心的で他人の迷惑や家族の迷惑に気がつかなかったり気づいていても無視して突き進んで、怪我したり迷惑かけたり。昔、保育園の頃縁側から落ちて下半身不随になって半年ぐらいかな、突然歩けるようになったから今では忘れてますが、ドラムに傾倒していったのも脚が使える!って嬉しかったからなんじゃないかなって思ったりしてます。耳はバンドの練習とライブの爆音で日々耳鳴り、今もジェット機が「キーン」って飛んでる音が24時間消えませんw 詳しくはまた書きたいと思いますが、精神科にも行ったことあるし、腰痛持ちで昔みたく激しい仕事は出来なくなってます。なので、僕は完璧な人間じゃないから「障害」と共に生きてるともいえるんです。

極、微妙で乱暴な言い方ですが、「完全な人間はいない」といわれているし、完全な存在「それは神である」としてそれを定義した場合に

健常or障害=完全or不完全と考えたら

健常者(完全な人)なんて、この世にはいないといえると思えません?

だとしたら、苦手なことがあって当たり前。出来ない事があって当たり前。

それを皆が責め合うでは無く、お互いに得意と苦手を組み合わせて社会をスムーズに動かしていきましょう。って考えた方が解りやすくありません?

僕は、そう思っていますし、ここ、一般社団法人はいねのもりでは、まだ施設運営までは出来ていませんが、将来はそんな理想に燃えた福祉の取り組みができたらいいなと夢見てます。

生存報告Vol.2

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3月末から修験道の総本山に上がってから、約3ヶ月。

時折、仕事で里に下りて茶摘や製茶しに戻ってきてましたけど、山での修行を暮らしの中で実践するってミッションに移行しました。

ずしゃだち茶摘2020.05.22

っても、神道の方、クリスチャン、日蓮宗の創価学会や色々な宗教の信者さんがされているように、お家の神棚や仏壇に祈りをする。これだけなんですけど、これが意外にちゃんと出来ない。

ま、今日は疲れてるからとか、眠いからとかw

そんなんじゃダメだーってことで、なんとか最低限のお祈りはできていますが、自分の目標にはまだまだ。

今回、里に下りている間に、薪炒り番茶株式会社とここ、はいねのもりの業務を済ませちゃおうと意気込んでいます。

実は、会社と自宅古民家の水回りの方位が悪く、2軒分を大阪の方違神社に正式参拝して、お札を貼って、今月半ばにはお浄めもしてもらえることになったのですが、お札を貼ってからなんか船から降りたみたいにクラクラするんですが、効果すごいのかな、気持ちが清々しくなっています。

修験道の世界に憧れていたくせに、神社、お寺さんのこととか何にも知らなかって、ドラムばっかやってたから、本当に無知で無教養w

やっぱり、気になる事は調べたり勉強したり、経験するのって大切ですね。

昔の人たちすごいわ。

んでもって、コロナも収束どころか、更に拡がっているよね。

経済優先で対策を取らなくなったから、今年の秋以降すごいことになるんじゃないかと思うから、今のうちにできる事はやって、でも、人混みとかには出かけずに、会社も古民家も閉鎖のままなのは変わらずに、3年ぐらいは辛抱しなきゃなんないだろうなと思っています。

その間に、いつコロなっても良いように、作品や法人を後世に残せるようにがんばります。

色々、体験したり最近始めたこととか書きたい事はたくさんあるんだけど、今日のところは生存報告。

梅雨が明けたら、業務の再開と古民家暮らし再開、制作ってな段取りな予定
です。

薪炒り三年番茶も好評で、その仕事にも追われてたり、里に帰ってきたら慌ただしいです。

時々、ブログも書けるようになると思いますので、引き続きお付き合いお願いします。

RACCO拝

誰のせいでもない

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毎日、朝に昼に夜に祈っていると考えているとは違う感覚が訪れる。

コロナで世間が目覚めている。

仕事が無くなり、お金が無くなり、住むところも無くなる

それは、コロナのせいかもしれないかもしれないし、社会や職場のせいかもしれない

けど、今ここを選んでいるのは自分だから

誰のせいにもできないんだよね。

もちろん、いまの政治やリーダー達は酷いよね。

もうめちゃくちゃ。

けど、むかーしっから、神様仏様はいらっしゃるし

人間の時間軸じゃ、まだなのー?いつなのー?って思うかもしれないけど

この世は目には見えないエネルギーで動いているんだから、もう少ししたら

自分の内外の神仏が裁きを下されると思います。

元々、狂った地盤の上に築いた砂上の楼閣なんだもん

助け合い慈しみあって、また、太古の暮らしのように自然と調和して生きていけばいいんだよね。

コロナはとてつもなく早くて怖いけど、これから来る社会の崩壊は精神を破壊する威力があります。だからこそ、目には見えないご先祖様に感謝と今までないがしろにしていたことを懺悔して、祈る事が昔から日本人は一番大事にしてきたんだよ。

僕らは20世紀21世紀を生きてきて、戦争を経験して社会が変わったけど、元々素晴らしい経験を持った国や地域の住民なんだから、今ままで忘れてきた事、ほっといてきた事を見直して、やり直しの時期になったんだなって思うよ。

先祖供養、水子供養がこんなに大事な事だったなんて、いい歳になるまでわからなかったことを本当に恥じます。

生まれ変わるつもりで、一瞬一瞬を大切に生きて。

いつ、コロなっちゃってあの世に行くかわからないんだもん

世界中のすべての人が「終活」について考えているんじゃないかな。

あの世に行っても後悔しないような生き方に改めなきゃと本当に思ったよ。

今やるべき仕事もこなしながらね。

近々、友達さんには番茶セットを送れるように準備しているし、通販サイトも立ち上げ準備しています。

新しい国作りのキーワードは「健康立国」

医療が崩壊した今、対処療法に頼れないことは国民が皆気づいたこと。

これからは「未病」

健康な食事と暮らしが一番大事

そして、死んだら何にも持っていけないんだから、素晴らしい人格を「人間性」を目指して、祈っていきたいと思いました。

こんなところで、今日は生存報告でした。

大変な時代になちゃいましたが、ご先祖様と神様にたくさん祈って、健康な食事で家族みんな友達みんな元気で生き残りましょうね。

では、また、生存報告しますね。

お元気で

読んでくれてありがとう。ご縁に感謝します。