執着について考える

 

IMG_6711いつもなら、こんなこと書こうって思ってパソコンに向かって書き出すんだけど、今回のテーマは、解ってて書けるってもんじゃない。

ネットや辞書で「定義」を調べて解ったような気持ちにもなりたくない。

けど、僕のレベルで、瞑想や座禅を組んでも「考えること」から抜け出せない。

以前、お正月に尊敬する岡山の霊能者の家に伺った時に「サドゥー」だった方が遊びに来られていた。そう、インドで修行する人なんですけど、ブッダもサドゥーだったと聞いたけど、合ってるかな。フンドシいっちょでひとり山に入り、暮らし祈る。寝床も大地で夜になって寝てたらなんだかもぞもぞするなって起きて、暗闇に目が慣れたら「サソリの巣の上」に寝てたんだって。

食事をしてたらよく来る大きな野良猫に食べてるの分けたり戯れたりしてて、で、地元の子供達が遊びに来てる時にいつものように猫がきたから呼んで戯れてたら、子供達が顔面蒼白になって「豹だ!(ヒョウ)」って慌てて逃げて、村人が総出で追い返したとか。

山の上にチャイを作ってるところがあって、美味しいから飲みに上がってたらしいんだけど、先ずは、素足で山道を歩けるようになるのが大変で、岩場とか。地元の子供達は裸足で走り回っているから、そこからして負けちゃってるじゃんって。で、慣れてきて山に登るんだけど、走って登って走って降って1日の行程で、歩くと夜になって真っ暗で見えないから崖から落ちたり猛獣に食べられたりするんだって。

それでも美味しいから飲みたいからって頑張って行ってたみたいなんだけど、何度か行くと、だんだん、瞑想状態になって、体が軽くなって、走っているのに地面に足がついていないような状態になって「飛んでた」って言ってた。

その方が言うに「整った建物や環境で座っての瞑想は瞑想じゃないって思ったよ、本当の瞑想は、過酷な状況でも入りこむのが瞑想だって思ったよ」って。

執着を考えるに、地球上には色々な暮らしがある。

さっきアップしたのはドラマーを目指していた時の思い出話。

ドラムを演奏するのは好き、けど、一人でやっててもつまらない、誰か見て聴いてくれてたら盛り上がっていい演奏ができたりする、多くの人に観て聴いてもらいたいと思うけど、欲望や自己顕示欲の世界には身を置きたくない。ドラムを演奏するのは好き、けど、一人でやっててもつまらない、、、、、

と、永遠にぐるぐると思考が巡る。

3年前かな、福祉の仕事が頓挫した時、家族と別居して今は自宅となった山奥の古民家に住み始めた。ドラム仙人を目指してね、そして、本当に大峰山の修験者の道場に通うことになり、祈り方とか法印とか学べる機会も得られた。知る人は知る本物の仙人が開いた根本道場だから敷居は高かったけど、美内すずえさんの紹介のおかげで、一見さんは入れないんだけどご縁をいただけた。若き修験者とも仲良くなり、秘儀の液体もいただけて、今、それを育てて、家族や友達に分けようと思ってる。

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その山の古民家の裏に貴重な在来種の茶畑があって、川根本町で始まった三年番茶の製造工場の立ち上げから初製造を手伝ってたら、自分でも工場を作りたくなって、知り合いに相談したら資金を集めてくれて株式会社とお茶工場ができた。

菊川工場

書いてて気がついたんだけど、当時も断捨離と執着を見つめていて、それで、山暮らしをしていたんだけど、そしたら、離婚になって、持ってる機材や何もかもをあげて、身一つになって、虚無感や喪失感と向き合ってたら、トントンと株式会社設立、福祉の資格取得と進み始めたんだけど、ここ2年は思っていたことと逆方向に走っていたんじゃないかなって。

そこで今回のウイルスショック。

1ヶ月以上、茶工場で篭って執着と断捨離を見つめていたら、だんだん感覚が研ぎ澄まされてきたんだ。ここ数年で手にした事や物を手放して「サドゥー」のような生き方を求めている自分が時々見え隠れするようになった。

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田舎から俯瞰して見る、都会や街人達が欲望と金の世界で生きている。政治家たちはその最たるもの。そんな奴らから古来の本当の日本を取り戻さなきゃいけない。自分の奥底からそんな思いが湧き上がってくる、で、Facebookに過激な書き込みをして人を傷つけたって感じて、ここにブログを再開した。そんな時尊敬しているある方から。

「ラッコちゃん、れいわ新撰組から立候補!?」ってメッセージがあった。

うん、それも手かなとも思ったけど、今の僕の精神レベルじゃ叩き潰されるんじゃないかなって思うし、人前に出るよりも人前から消えることの方が今は惹かれている。政治のこととかよくわからないし、やるんならもっと勉強して人間性を高めないと、西郷隆盛さんのごときね。今、僕にそれは無理だと思うから、人ってより、神仏に向かって生きていたいと思った。その先に、社会にご奉仕できるような人間に成れていたら、その時は世に出ようと思うかもしれないけどね。

「執着」って言葉にするのは簡単だけど、本当に奥が深いね。

「欲」と「大欲」は違うらしく、これがなきゃダメとかこの服じゃなきゃとかこの機械じゃなきゃとか、欲望の「欲」と生きる事や子供達を慈しむことなどの本能的な「大欲」とは違うという。

山に入るのは現実逃避とも修行ともいう。

九州に年老いた父が一人暮らしをしている。

「巻道」って、滝に向かって真っ直ぐには行けない、あるときは降りたり上がったり逆方向に向かったりしながら、その滝にたどり着く道をいうらしい。

執着を見つめると、お茶の会社の成功、ドラマーとしての成功、願っていた仙人のような山の古民家暮らし。これは、今、僕が持っているパーツ。これらを「執着」ととらえたならば「家族愛」「人間愛」「自然愛」これが「大欲」といえるのではないかなというイメージが浮かんで来る。

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実は最近、たぶんだけど、僕は、この会社や工場を古民家を誰かに譲るかしばらく離れて、九州に帰り、父が生涯を閉じるまで一緒にいて、それから、また、やれることをやった方が「大欲」に沿った生き方じゃないかなと思っている。

はいねくん

今回のVirusにまつわる社会変革がどこまで進むかは解らない。

変わらないかもしれないし変わるかもしれない。

そんな社会の状況や評価に左右されない、本当の「自分の道」を歩きたくなったのは、今回のおかげだと思っている。

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気がついている人もいると思うけど、最近「空気が美味しくなってる」よね。

ウグイスが鳴き蛍が舞う田舎にいると、ことさらそれを感じる。たぶん、工場が止まったり車が走ってなかったり、大気汚染が収まっているからじゃないかな。人間の生産活動が停止するとこんなに美しい自然を感じることができるようになるんだって改めて思った。だったら、批判されるのはわかってるけど、もう、工場なんかいらない、仕事なんかいらない、外国から客なんか来なくて良い、みんなで自給自足を大事にして環境に良い暮らしを新しい暮らしをもう一度作り直せば良いじゃん。って、思う。

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インスタ映えするカッコイイ古民家暮らしも、インスタ映えするカッコイイ工場もみんなから褒めてもらえる仕事も、もう、手放す時が来たのかなって。

僕が今「執着」を見つめるとそんな答えに導かれる。

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本当に神仏や自分自神がそれを求めるなら、何をやっても人が驚くようなことでも、きっとうまくいく。天界に戻られた大峰山の仙人が教えてくれた。

人に迷惑をかけちゃいけないけど、こんな時は「ごめん」っていうのもあり。

根本から「生」を見つめること、それが「執着」を見つめることなんじゃないかなって思う。

いつまで、このブログも続けられるか解らない、インスタ映えする素晴らしい環境にいてもそれを皆に伝えようとしていない。

いつも友達に言われる。「ラッコちゃんもったいないよね」って

けど、こんなバカがいても良いんじゃないかなと思うよ。

「執着」を考えたら「愛」が見えてきた。

はいねくんおつかれさまありがとう