障がい者と健常者のちがいって?あなたはどうですか?

久々の投稿ですが、今回は目線を変えて。

僕は、ドラマーで世に出ましたが、10年前から社会福祉法人で障がい者の就労支援と文化芸術専門活動に取り組んで来ました。障がい者と一緒にバンドやったり仕事しながら寄り添うって感じかな(三年番茶の工場も彼らのお仕事になることを作りたいって探していたら出会えた仕事なんです)

で、思ったことがあるんです。障がい者ってなに?みんな知ってるのかなって。

今上陛下が天皇になられた時の御言葉で「福祉」と仰っていたその福祉的なことで、僕が思ってる事をちょっと書かせてもらいたいなって思ったんです。

障がい者を助ける人(支援員)や普通に生活している人のことが健常者と呼ばれていますが、健常者って何?と健常者(今となってはあまり使われない用語になってきてますけど、敢えて使わせていただきます)と障がい者の違いってなんだと聞かれたりもするし、そこで僕が思うことを今回書こうかなって。

このブログを読んでくださっているあなたに聞きたいんですけど

あなたは、健常者ですか? それとも障がい者ですか?

そして、僕の思いを先に書くとズバリ!

この世に健常者はいない!です。

例えば、IQ 70以下だと知的障害者と判断されることがあるんですが、人工透析してる人も、事故とか高齢で手足や内臓が不自由になった方とかは身体障害者、昔でいう躁鬱病(今では双極性障害というようですが)とか、流行りの統合失調症とかは精神障害者と。これに近頃では難病の方も障害者と括られています。

ちなみに僕は、去年資格を取って「サービス管理責任者」「相談支援員」「介護福祉士初任者」と、福祉系の資格を3つ持ってるんです。世間的にはソーシャルワーカーと呼ばれる立場なんです。

そんな僕には、社会的な責任があって、国の指針以外のこと書くと叱られるかもしれないんですが、敢えて今回自分の意見として書くと

健常者は存在しない。

なんです。

ちょっと逸れて、専門的な話になりますが、1980年の国際障害分類(ICIDH)というのを WHOが出しまして、障がい者を定義したんです。それが2001年に更新されて、国際生活機能分類(ICF)と

「障害」に対する概念が180度転換されたんです。

このことは、専門家や学生しか知らないかもしれませんが、福祉のことは世界共通で進んでいるんです。(ヨロッパや北欧が先端を行ってますけどね、日本はめっちゃ距離置かれてますよー知ってました?)

で、何が転換されたかっていうと難しい正確な定義はネットとか専門誌を読めば書いてあるんですけど、ここはサービス管理責任者、わかりやすく短く説明させていただきましょう。

簡単にいうと、1980年の国際障害分類(ICIDH)の頃は

障害は、あなたがそうなっていることが理由、例えば足が無いから歩けないのはあなたの責任。

だけど、かわいそうだから手助け(支援してあげましょ)ってな考え方(乱暴な書き方ですから専門の方怒んないでね)

東京から京都に行きたくても歩けないんじゃ行けないわね。じゃあ、送ってあげれる人誰かいませんか。ってな具合。

それを「医療モデル」っていうんですね。

それが、21年経って、2001年に、国際生活機能分類(ICF)となったのです。

180度転換の意味は

ICFでは、あなたに足が無かったら、車椅子や電車や飛行機とか車を使えば京都にも行けるし、奈良にも九州、四国、北海道にも。飛行機に乗れば外国やロケットに乗れば宇宙にもいけますよってな具合に。

だから、足やあなたに問題があるんじゃなくって、社会インフラが足のない人でも行きたいところに行けるようにデザインされた「ユニバーサルデザイン」になっていれば、あなたにとって足の無いことが「障害」ではなくなりますよね。

障害はあなたの問題じゃなくって、社会やあなたの周りがあなたが障害と感じるような形やサービスなのが問題なんですよ。という「社会モデル」に。

更には、「出来ないこと」に焦点を合わせるじゃ無く「出来ること」を大事に見て、そこを活かしていきましょう。支援員さんもそういう風に見て自己流じゃなくって勉強して考えて支援してくださいね。

ってな具合に進化したんです。

だから「障害」の「害」の字は

あなたが体や精神、知能を「害」してる。「医療モデル」

から、社会インフラがあなたの意思を「害」してる。「社会モデル」に変わったんです。

これって、すごい違いだと思いません?

そして、障害のある人も無い人も、互いに支え合い、地域で活き活きと明るく豊かに暮らしていける社会を目指す「ノーマライゼーション」の理念というのが誕生したんです。

興味のある方は、厚生労働省:障害福祉施策の考え方をクリックすれば、国の考え方がわかります。ちょっとややこしい話だけど、こちらも詳しく書いてます。

話が逸れましたので、本題の戻します。

じゃあ、ラッコさんはどっち?

って聞かれたら、僕は自分のこと「障害者」だと思っています。と応えます。

医療モデルや国の定義とは違うと思いますから、ひとつの考え方だと捉えてくださいね。

僕は、サービス管理責任者ではありますが、自己顕示欲が強く「自己愛性パーソナリティ障害」の要素があり「両極性障害」気持ちが上がったり下がったりが結構激しい。自己中心的で他人の迷惑や家族の迷惑に気がつかなかったり気づいていても無視して突き進んで、怪我したり迷惑かけたり。昔、保育園の頃縁側から落ちて下半身不随になって半年ぐらいかな、突然歩けるようになったから今では忘れてますが、ドラムに傾倒していったのも脚が使える!って嬉しかったからなんじゃないかなって思ったりしてます。耳はバンドの練習とライブの爆音で日々耳鳴り、今もジェット機が「キーン」って飛んでる音が24時間消えませんw 詳しくはまた書きたいと思いますが、精神科にも行ったことあるし、腰痛持ちで昔みたく激しい仕事は出来なくなってます。なので、僕は完璧な人間じゃないから「障害」と共に生きてるともいえるんです。

極、微妙で乱暴な言い方ですが、「完全な人間はいない」といわれているし、完全な存在「それは神である」としてそれを定義した場合に

健常or障害=完全or不完全と考えたら

健常者(完全な人)なんて、この世にはいないといえると思えません?

だとしたら、苦手なことがあって当たり前。出来ない事があって当たり前。

それを皆が責め合うでは無く、お互いに得意と苦手を組み合わせて社会をスムーズに動かしていきましょう。って考えた方が解りやすくありません?

僕は、そう思っていますし、ここ、一般社団法人はいねのもりでは、まだ施設運営までは出来ていませんが、将来はそんな理想に燃えた福祉の取り組みができたらいいなと夢見てます。