ども、コロナ騒動で、政治・時事ブログみたいになってました。
本来はドラマーなんで、これも、最近まで自分ってナニモンやねんwと思ってましたけどw今もよくわからんw
昔読んだ言葉で「きこりは悟る前 木を切る 悟った後 木を切る」のような聖なる言葉の本だったかな、友達のモデルの女の子に教えてもらって読んだ本に書いてあった。他の言葉は忘れたのにこの言葉だけ覚えてる。
僕は、極端にプロ意識の欠如したドラマーでした。ギャラとか貰うのはおかしい、無限のイメージから湧き出たものだから僕が出していない、お金なんか貰うのはおこがましい。だから、ミュージックステーションのギャラとかBONNIE PINKのギャラとか、僕はもらえないからマネージャーのカヨちゃんにあげて。
今思えばキ●ガイですよねw
セルフィッシュレコードって、当時のインディーズレーベルから「SENSEMILLA」ってアルバムを出して、その中にHorse-Shitって曲があって、その曲を当時EPIC SONYの洋楽担当デイレクターだった彼女のカオルちゃん(元気かな?もし、このブログ読んだら連絡くれないかな、なんてw)が、社内プロモーションしてくれて、Hose-Shitって曲がデイレクターが気に入って、契約することになったんです。いわゆるメジャーデビューですね。
この曲は、ライブでもすごい好評で、前出のセルフィッシュレコードのドル箱スターS.O.B(RFD)のナオトくんが「シアターにはホースシットがあるからなあ、あれにはかなわんわ」って、言ってくれたのを思い出した。
この曲のドラムは、今でもあまりプレイするドラマーは少ないんだけど、片手でハイハットの16ビートを叩いているんですが、僕の中ではヒューマンテクノなプレイなんです。機械的な無機質なプレイを心がけているんだけど、グルーヴはファンカデリックなどのFunk的なノリ。タイジのギターも炸裂して、僕の音楽人生の中でも格別な録音を経験していた頃です。ちなみに年齢は21か22歳ぐらいだったと思います。
で、最近は便利なもので、YouTubeにこのアルバムを乗せてくれている人がいました。
アルバムは廃盤になってるから、リンクを公開しても怒られないと思います。ですよね。ダメだったら消すんで連絡くださいw
この頃のタイジは詩人としての才能を発揮しまくりで、今もだろうけど。8曲目の「終わらないはずなのに」の歌詞。今聴くと予言のような歌になっています。全体的にそうかな。当時から社会的なメッセージ性がある歌詞で、ライブのMCもオーディエンスを啓蒙して盛り上がるみたいな感じでした。アメリカであった人種解放運動とかそんなことにも影響受けてたかもしれないです。
で、当時のこと振り返ってもいい時期かなと思うから、今年ドラム40周年だしw
こんなインタビューが残ってるのを見てちょっと自分なりに修正しちゃおうかなと。タイジさんもずっと前のことだから記憶が曖昧なのかもね、当事者は意外と覚えてるもんなんですよ。
——今のメンバーに固まるまでは?
「ファーストはドラムが三嶋君、キーボードは若林君でやっててんけど、若は体調が良くなく脱退していくわけ。若が辞めた時に、鍵盤はどうしても必要だったからヤバかった。 で、オルガンを弾くエマーソン北村ってスゲーのがいるって聞いて誘ってみたらやってくれた。それからの付き合いやね。1995年のデビュー・ミニ・アルバム、『CALM DOWN』は若が弾いてて、1996年『TALISMAN』は北村さんがやってんねんな。で、『TALISMAN』のツアーが終わったあたりで、三嶋君の色々な問題が出てきた。で、沼澤尚ってドラムのめちゃくちゃ上手い奴がいるって噂を聞いて、ドラム・マガジンに電話して「沼澤尚さんの連絡先わかりますかね? 」って聞いて、電話して「バンドやってくれませんか? 」「いいですよ」ってなったのよ」
「三嶋君の色々な問題」ってなんやねん。ってことなんだけど
これが、今に至る原動力になって、後からそうだったのか!ってわかってきて今では良かったなと思うんです。
元々、ソニーとの契約を内定まで持っていって最後にタイジに許可もらうってことでEPIC SONYになったんですけど、事務所の社長、セルフィッシュレコードの社長がバンドでの契約に拘っていて、もちろん僕も。それはそうで、ハードコアパンクのレーベルですから、アイドルを作っているわけじゃないと言って、バンドサウンドを世に出すんだってかねがね言っていて、そこでタイジさんもソロの誘いが多い中、バンドでの契約を優先してくれたんです。今では、感謝しかありません。
で、色々の問題なんですが、当時それまで、EPICといえば、音楽性や作品作りに力を入れていて海外でも素晴らしいミュージシャンが契約していたんですけど、時は新自由主義が蔓延る頃。僕らが契約した後から売れる音楽、売れた音楽と同じ音楽。株主のために会社があるんであって、ミュージシャンや社員のためじゃない。って、会社の方向性がまるっきり変わった頃なんです。(辞めて、ここ最近経済の成り立ちを学んだらやっとわかった事、当時はなんでだーってわけわからんでした)だから、契約前に彼女と事前打ち合わせをしていて感じたことと実際始まってからは全然違くて、知らないところでどんどん話が決まっていったり「自分はこんなことするために頑張ってきたのかな」と疑問が出てきて、デビューしていきなり注目されたんで、タイジさんとも話す時間も減り、リハーサルやってテレビに出て、ライブやって曲作りのスタジオ入って、デモ録って、レコーディングして、リハやってライブやって撮影やって、ラジオ収録して、ツアーに出て、リハーサルやって。みたいな分刻みなスケジュール。楽しかったけど、自分を忘れていくような錯覚になって。
で、クスリ。もう時効だから言うけど、当時、プロミュージシャンになるならって、先輩ミュージシャンがドラッグを勧めるだよね。これやんないとこの感覚がわからんぞ、ってね。そしたら、あらゆるアーティストさんがそうだってこともわかり(こんなこと他じゃ書けないよね怒られるよ時効なんですみませんw)なんだここは一体!になってたんですね。そんで、アーティストさん、アーティストさんって大事にされるのは嬉しいし、ありがたいし、くすぐったいんだけど、そんな時に手塚治虫さんの「ブッダ」を読んだもんだからさー大変。「音楽でここまでこれたんだから、もっと人間性を高めてブッダみたいな人になるんだ!」「王位も捨てて、フンドシいっちょになって山に入ったブッダだもん、メジャーデビューしたからって調子に乗んないで、また降りて次はまた実力で上がってくるぞ」なんて、思いが湧いてきていて、タイジさんの作る曲は好きだったし「僕もタイジさんのように曲が作れたらバンドにもっと貢献できるドラマーだ」とか考えたり、バンドのことを愛していましたけど、ここまできたら僕じゃなくても登っていけるとこまで来たし、ここは僕は引き時だなって思ったんです。
※筆者注 クスリ(ドラッグといっても色々あります、現在はソーシャルワーカーも担っていますから、若者に間違いの無い事を伝えたいと思っています。ケミカルドラッグといって、科学的に合成されたドラッグは本当に危険です。麻は古来からの日本の文化の源と言われていますから、これも、危険だからといって嘘の情報を伝えて社会から排除するんじゃなくてちゃんとした情報を伝えて欲しいと思います。本来なら自己責任でいいと僕は思っています。もちろんちゃんとしたケアとか社会が成熟してからじゃ無いと不幸な人が増えるんで、だけど、法律で禁止して水面下に押しやる事で闇の勢力の資金源になったり、逆に一般市民が不幸になったりしているから、ウイルス問題が収束したらこのことも真剣に議論したほうがいいと思います。それと、現在の業界のことは20年以上離れているのでわかりません。聞くと最近は皆優等生だからドラッグの話は聞かないよという話は聞きましたけどねw)
そんで、辞めるのに次がいないとバンドが壊れてしまうって思ったんで、中条さんには「バンドをお願いします」っていって、このバンドにはこの人しかいないなって思って沼澤さんに電話して「ぜひ、ドラムを叩いてください」って。それからタイジさんが電話したと。こんな経緯なんですよ。
で、前のベーシストの高月さんと一緒に出来ないってのは、当時、腕を痛めていた彼が演奏するのは厳しいって言ってて、メジャーでは務まらんかもって言っていたから、タイジさんと一緒に相談して辞めることになって、結局当時バンドは僕とタイジさん2人でいろいろ決めてたんです。それからキーボードのワカが中条さんの知り合いでレコーディングして加入をお願いしたら参加してくれたんです。因みに、実は中条さんと知り合う前にベーシストは内定していて、僕の希望を本人に伝えてもらったら快諾してもらってたんです。誰だと思います?ハービーハンコックのヘッドハンターズのカメレオンでベースを弾いてたポールジャクソンさんだったんですよ、どう、ウケますよね笑。結局、バンドなんだから同年代でってことや中条さんが素晴らしいベーシストだったんで、中条さんがメンバーになったんです。こんなこと書いていいんかな、ここだけの話ってことでw
さて、話はこの辺で、当時の音を実際に聞いてもらえたらいいなと思って探したら、ありました!
(リンク先のアマゾンで中古で売ってました、良い音で聞いてくれたら嬉しいから良かったらお手に取ってください)
以下のタイトルをクリックするとYouTubeにつながります。誰がアップしてくれているかはわかりませんが、今では絶版になっているみたいだから、音質はどうあれ聴けるようにしてくれていることに感謝します。(不愉快に感じる関係者さんがいたらすみません)
ここまでです。このアルバムの後からはEPIC SONYで制作して発売になりました。
ご静聴ありがとうございました(笑)
ここからはPVです。
以下のリンクは、もともとYouTubeにあったんですけど、多分契約的な問題じゃないかなって思うけど、消えていて、ニコニコ動画にあったのでそれを貼っておきます。動いている当時の僕がいます。ドラムのレコーディングは全て一発どりです。今みたいにデジタルで切り貼りすることができなかったし、やりたくなかったから、僕が在籍していた当時はアナログレコーディング、アナログミックスにこだわっていて、2〜6テイク以内で納めていました。アナログテープは3回目ぐらいまでの音が良くてそれ以後はどんどん音質が劣化するんだよって、エンジニアやプロデューサやディレクターに脅されてたんで、そりゃそりゃ集中して演奏しましたよ。だから、スタジオライブみたいな録音ですね。タイトルをクリックするとリンク先で観れます。広告があるけど、そこはご了承ください。オフィシャルのミュージックビデオです。
※修正です。忘れていました^^;「あふれ出すばかり」はDJをフィーチャリングするために、DATを使ってドラムループを作ってフィルインとかフレーズとかを録音したんだった。
そして、これはビデオではないんですが、この曲はTALISMANってアルバムの最後の曲。神戸の震災を経験した時に生まれた曲。歌詞もイントロもメロディーも素晴らしいと僕は思います。タブラと一緒に演奏できて嬉しかった、この曲も片手16ビート。僕の十八番です。ミックスの関係でドラムの音が引っ込んでいますが、ライブでは、歌もギターソロもドラムも炸裂して感動的な曲なんです。今でも演ってるみたいです。
シアターブルックでの僕のプレイはここまででした。いかがでしたでしょうか。感想とか教えてくれたら嬉しいと思います。ま、昔の音ですけどね、今のシアターブルックも素晴らしい曲やライブパフォーマンスなので、コロナ騒動が一段落したら、今の彼らの音を体感しに行ってください。僕も遊びに行こうと思っています。
アルバムで聴きたいって方はこちらにリンク貼っときます、タイトルをクリックしていただければAmazonで購入できます。
バンドのメンバー、ファンの皆さん、スタッフ、関係者の皆様のおかげでできた作品たちです。このように自分の記録を残させて下さった皆様に本当に感謝します。これからは、今の音やプレイを届けて元気な姿もお見せできたらと思います。もし、当時の関係者さんがこのブログを目にしたら、お、ラッコ元気じゃん、連絡してみるかなってメッセージもらえたら嬉しいな。いつコロナっちゃってあの世に行ってもおかしくない時勢ですから、こういう形ででも自分の足跡を残すことができるのも感謝しかありません。ありがとうございます。
そして、以下の4テイクは、東京を脱出して、静岡県菊川市の障害者施設の音楽療育で赴任してきてからの演奏です。
近くにあったSTUDMUFFINっておしゃれな服屋さんがライブをやっていたり、PONY’S TOY って菊川駅前にある老舗の喫茶店がライブをやっていたりしてたんで、ずいぶんと業界から離れていたんだけど、後輩や当時の仲間がツアーに来たついでに飛び入りで演奏したり、ライブさせてもらってたりしたんです。
ジャンベを演奏する機会も増えて、気軽に参加できるようになりました。仲間も最高!飛び入りだし、全て即興演奏。今思えば、全て懐かしい思い出。当時は子供達も妻も観に来てくれてて、本当に幸せな家庭を持たせていただいていました。ありがとね。
Dreams on Drum
愛してるアーステル / Willie @ STUD MUFFIN
https://youtu.be/MEngmtbdcgc
HOMARE feat.RACCO at STUD MUFFIN
https://youtu.be/DCsME33q1Dg
光風&Karamushi meets Racco「内部告発」@PONY’STOY
https://youtu.be/s2XCiyUKrCs
聴いてくれて、観てくれてありがとう。
上記のミュージシャンたちを僕は尊敬しています。
ただ、コロナショックでライブ活動を制限されている事は残念です。
とても苦しんでいると思います。僕もできることは応援しますし、このブログを読んでくださっている方々もぜひ応援してあげてください。素晴らしい作品を生み出していますから。
きっとまた素晴らしいパフォーマンスが出来るよ、きっと、さらに上のステージでね。
だから、こんな時は無理をせずに、命を守る行動を最優先にして、素晴らしい作品を作る時間にして、くれぐれもお身体をご自愛していただきたいです。
僕を受け入れてくれて、ありがとうね。
みんな元気でね。